精霊の楔




ヒトは誰しも何かに縛られて生きている。
勉学に縛られる、家庭に縛られる、仕事に縛られる…
しかしそれは生きていくうえでは仕方のないことである。
ヒトに限らず、この世で生きるものたちはすべてなんらかのことに縛られている。
しかし、いつまでも同じものに縛られているということはないのである。
それは精霊にとっても同じである…。



トントントントン…
規則正しい音が七梨家の台所に響く。シャオが夕食の準備をしているのだ。
しかしいつも聞こえてくる鼻唄は聞こえてこない。ただ黙々とシャオは夕食を作り続けていた。
体は料理をしているが、頭の中ではまったく別のことを考えていた。
麗奈と幸太のことである。
精霊の宿命に関係する場所なら危険なのは目に見えている。そんな場所に二人が行っているのだ。
親として落ち着けというほうが無理である。
(大丈夫かしら…?怪我とかしていないかしら…)
二人が出発してから五日が過ぎようとしていた。予定通りなら明日帰ってくる。しかし、それはあくまで予定で
過ぎない。むこうの状況しだいではどうなるか分からないのだ。
(大丈夫、大丈夫よ、あの二人な…)
毎日のようにそう自分に言い聞かせるシャオ。しかし、そう考えれば考えるほど、不安ばかりが募ってくる。
(もしかして、いまひどい目に会ってるかも…!)
「………オ」
(でも乎一郎さんがついているし…)
「……ャオ!」
(でもそれでもやっぱり!)
「シャオってば!!」
耳元で大声で叫ばれ、シャオははっとなる。隣を見ると太助が立っていた。
「あ、太助様、お帰りなさい」
「シャオ、それ…」
と言って太助はシャオの後ろを指差す。その先みると、火にかけていた鍋が吹き零れていた。
「きゃぁぁ!!大変ですぅ!!!」
あわてて火を止め、シャオは中身を確認する。煮物をしていたが焦げ付いていて、無事な部分は少なかった。
「うぅぅ、失敗しちゃいましたぁ…」
昔と変わらず瞳をうりゅーとさせながら嘆くシャオ。
「二人のこと考えていたんだろ?」
シャオの代わりに鍋の後始末をしながら太助が尋ねる。
「はい、明日帰ってくるって言っていましたけどまだ何の連絡も来ないし…」
「心配になるよな、さすがに…」
胸中穏やかでないのは太助も同じだった。出発したときにはさして心配もしなかったが最近は仕事にも
身が入らないくらい不安になってくる。
しかし、どうしようもないことは太助もシャオもよく分かっている。
「信じて待つしかないんですよね…」
何度シャオはその言葉を口にしたか、二人が出発してから数え切れないほどだ。
「そうさ、信じて待つしかないよ」
そう言って太助は焦げ付いた鍋を洗おうとする。
「あ、太助様、後は私がやります。太助様は着替えてきてください」
「……大丈夫?」
少しの沈黙の後、太助が尋ねる。今のシャオの状態はあまりよくないことはすぐに分かる。
それでもシャオは「大丈夫です」と言って焦げ付いた鍋と格闘し始めた。



(ありゃ、相当参ってるよなぁ)
風呂に入り、服を着ながら太助は思う。前からシャオの二人に対する心配性は普通ではなかった。
それが今回のでさらにヒートアップしてきたのだ。
「せめて、電話でもくれればいいのにな……」
ちゃんと言っとくべきだったなと後悔をする太助。
と、
『トゥルルルルルル』
電話が鳴った。もしやと思い太助はあわてて受話器を取る。
「もしもし、七梨ですけど……乎一郎か!」



「シャオ!」
「どうしたんですか?」
あわてて台所に入ってくる太助を不思議そうに見つめるシャオ。
「電話があったぞ。乎一郎からだ」
「ほ、本当ですかっ!それでなんてっ!!」
興奮気味でたずねるシャオ。
「予定通り明日帰ってくるってさ。二人ともなんともないそうだ。あいつら自身の目的も果たせたみたいだし」
「よかったぁ」
一気に肩の荷が下りたような気がした。
「それと、二人から伝言。シャオにとんでもなくすごいお土産があるってさ」
「まあ、楽しみです。一体何なのかしら?」
そうは言うもののシャオは大して気にもとめなかった。
二人が無事に帰ってくる。それだけで十分なのだから…。



翌朝…
天気は晴天。雲もわずかに点々とあるだけである。太陽の光を一心に受けている高層ビルの屋上に
二人の人物が立っていた。
「やっぱ高いとこから眺める景色は違うよなぁ〜」
「ホント、あれだけ大きいと思っていた町が全然小さく見えるもんね」
二人が話す。声を聞く限り一人は少年、もう一人は少女だ。
しかし二人が立っている場所は本来、人が入れる区域ではない。そんな場所に
なぜ二人はいるのだろうか…。
「それじゃそろそろ行きましょうか」
「よっしゃ!」
そう言うや否や二人はビルから飛び降りた。そのまま二人は真っ逆さま――にはならなかった。
二人はすぐそばに浮いている緑色の竜に乗っていた。この空を飛べる竜がいたからこそ二人は
あんなところにいたのだ。
「なあ、家の場所覚えてる?」
少年が尋ねる。緑色の竜は「任せとけ」と言わんばかりにうなずいた。
「じゃあ、我が家に向かってレッツゴー!!」
少女の声で竜は動き出す。目的地に向かって…。



「う〜ん、よく晴れてるなぁ」
太助が庭で背伸びをしながら呟く。今日は日曜日なので仕事は休みである。
「あの二人は今日帰ってくるようだな」
近くにいたキリュウが尋ねてくる。
「ああ、昨日連絡があったよ。時間のほうはわからないけど今日中には帰ってくるってさ」
「そうか、これでやっと私の役目を果たせる」
キリュウは少しうれしそうに言った。幸太が旅行に行っていては試練を与えることができない。
はっきり言ってキリュウは暇をもてあましていた。
「いろいろと考えた試練も試してみたいしな」
「幸太がいない間にいろいろと考えていたんだろ?」
「もちろんだ。ふふふ、今度のはすごいぞ、早く試してみたい…」
怪しげな笑みを浮かべながらそういうキリュウに太助は少しひいてしまう。
「あんまり無茶はしないでくれよ」
「無論だ。その点もぬかりはない」
その言葉は信用できる。実際太助が試練を受けていたときもそのあたりのことは十分考えていてくれた。
「にしてもあいつらいつ帰ってくるんだろうな」
そういいながら太助は空を見上げる。シャオはさっきからいつ二人が帰ってきてもいいように
すでにご馳走の準備をしている。それのこともあるのでできるだけ早く帰ってきてほしい。
もっとも早く元気な姿を見たいのが一番の願望なのだが…。
「あれ、なんだ?」
空を見上げていた太助がふとひとつの影を見つける。
「鳥……ではないのか?」
キリュウも見つけてそう呟く。
「それにしてはずいぶんと大きいような…。それにこっちに向かっているような…」
「ようなじゃないぞ、太助殿!ほんとにこっちに来る!!」
キリュウはとっさに短天扇を構える。
そしてそれは太助の前に猛スピードで降り立った。
その姿を確認した太助は驚きの表情を隠せなかった。
「「ただいま、お父さん、キリュウ!」」
二つの声が重なる。そこにいたのは麗奈と幸太。そして緑色の竜…。
「軒轅殿…?」
声の出ない太助に代わってキリュウがそう呟く。
「そうだよ。でも軒轅だけじゃないんだよね」
「そうそう」
そう言うと二人は支天輪を出した。その支天輪を見て太助は再び驚く。
「支天輪が…割れてるっ!!?」
「いろいろとあってさ。まっ、見ててよ」
幸太がそういうと二人の持つ支天輪が光を放ち、ひとつとなる。
「「来々、離珠、虎賁!!」」
二人が叫ぶと小さな二人がその姿を現し、軒轅の頭の上に乗った。
「離珠、虎賁!」
今度は太助が叫んだ。
「へへ、久しぶりだな、ぼうず」
(久しぶりでし!)
虎賁と離珠がそれぞれ挨拶をする。もっとも離珠の声は相変わらず聞こえないが…。
「おまえら、どうして……」
「いや、実際言うとおいらたちもよくわからないんだ。呼ばれて出てきただけだからな」
虎賁が言った。確かに彼らは呼び出されただけである。太助は質問の矛先を麗奈と幸太に向ける。
「なにがあったんだよ、二人とも?」
「う〜ん、話せば長くなるんだけどね。実は……」
「あああ!!!?なんか騒がしいと思えばなんであんたらがいるのよ!?」
様子を見に来たルーアンが大音量で叫ぶ。
「相変わらず、やかましいことこの上ないな」
ため息混じりに虎賁が言った。そうやってわいわいやっているとついにシャオも庭にやってきた。
「どうしたんですか?もしかして二人が帰って……」
そこで言葉が途切れた。庭には絶対にありえない光景があった。
二度と会うことのないと思っていた大切な仲間…。
「へへ、お久しぶりです、月天様」
(お久しぶりでし、シャオしゃま)
ふたりはすこし照れながらシャオに挨拶をする。
「どうして………?」
「おいらたち自身もよくわかっていないんですけど…」
「とりあえずは私たちがお母さんの精霊だったときの力を使えるようになったみたいなの」
「そういうこと」
次々と話し出す三人。しかし、シャオにはあまり届いていなかった。シャオは頭で考えるより先に
体が動いていた。麗奈、幸太、そして離珠、虎賁、軒轅をまとめて抱きしめる。
その目からは涙が溢れていた。



「どうやら、感動の再会は終わったみたいだね」
声がしてふと太助が振り向くと、そこには大荷物を抱えた乎一郎が立っていた。
「あ、乎一郎、すごい荷物だな」
「二人の分もあるからね。二人ともどうしても軒轅に乗って家に帰るって言ってさ。太助君たちを驚かすって」
「十分驚いたよ」
額に手をあてて太助が言った。
「ところで、目的は果たせたのか?」
「えっ?もしかして太助君知ってたの?」
「まあな」
驚いた表情を見せる乎一郎に太助がそう言った。
「よくとめなかったね」
「俺が言っても説得力はないからな」
苦笑交じりに太助が言った。無理をして、危険な場所に飛び込むのは自分譲りなのだ。
「とにかく、向こうであったことを話すよ。成果もあったしね」



「でも今回の旅行があたしたちの為だったとわね…」
話を聞いてルーアンが言った。
「わざわざ隠していくこともなかったと思うのだが…」
「でも、余計な心配させたくなかったし」
「それが余計に心配の種になるのよ」
キリュウの言葉に反論する麗奈にシャオが言い返す。
「まあ、なんにしてもたいした危険はなかったんだろ?」
「うん、星神のみんなの力もあったしね。それで一番奥まで行ったら…」
「これがあったってわけ」
そう言って幸太はテーブルの上に置かれているビンを指差す。
中には液体に浸かっている何かの実が入っていた。
「まあ、詳しい話はこの人に聞いてほしいの」
麗奈がそういうと、麗奈と幸太の二人が支天輪を出した。
力をこめると二人の瞳が青くなった。
「「来々、南極寿星!」」
ふたりが唱えると、支天輪から南極寿星が出てきた。
「じーさん」
「南極寿星」
太助とシャオが静かに南極寿星を呼ぶ。
「お久しぶりです、シャオリン様」
「ええ、6年ぶりね」
「二度と会えないって言ってたけど、人生どうなるか分からないものだよな」
「まったくじゃ」
太助の言葉に同意する南極寿星。
「さて、本題じゃが、慶幸日天、万難地天、この実は精霊の実。精霊がその生涯を終えるときに口にする
ものじゃ」
「生涯を終える?つまり死ぬ…ということか」
「そうじゃ。おぬしたちはもとより精霊として生まれ、宿命を負った。シャオリン様と違ってな」
「つまりシャオリンはもともと人間だったってこと?まあ、そのことは前に聞いていたけど…」
それが何?と言いたげにルーアンが言った。
「この実は不老の戒めを、精霊の楔を断ち切るものなのじゃ。本来ならこの実の汁を飲めばその生涯を
終える」
「さっきもキリュウが言ったけどそれって死ぬってことだろ?それじゃ意味がないんじゃ…」
成果があったと言った乎一郎の言葉と矛盾するものがあり太助は唸った。
「それは使命を終えた精霊が飲めばの話じゃ。そうでないものが飲めばおそらく仮死状態になる」
「ちょっと、もしかしてそこから目覚めたらこの使命から解放されるってこと?」
「たぶんな」
「さっきから、おそらくとか、たぶんとか多いけど確証がないの?」
不安そうにシャオが尋ねる。
「前例がありませんから。まず、小僧がシャオリン様を守護月天の宿命から解き放ったこと自体前代未聞
なのですから」
「で、とりあえず取ってはきたけど、これを飲むか飲まないかは、二人の判断に任せるよ」
「生きるか死ぬかの問題になるから、そのほうがいいって三人で話し合ったの」
幸太と麗奈が言った。しばらくの沈黙が流れる。目の前に自分の望むものがある。しかしそれは
命をかけなければならない。
このままあるがまま、宿命の元に生きるか、それとも解放されることを望み、命を懸けるか選択は二つに一つ。
沈黙を破ったのはキリュウだった。
「……少し考えさせてくれ」
それだけ言って自室に下がっていった。
「私も……」
すぐ後にルーアンもその場を後にした。



(役目が終わる。本当の意味で……か)
キリュウはベッドに腰をかけて考えていた。今まで何度も主に嫌われ続けてきた自分。辛くなかったと
表ではそう言っているが、心のなかでは傷ついていた。いつまでも続く孤独感。自分の宿命を恨んだことも
あった。しかしそれから一時的にせよ、救ってくれたのは太助だった。自分を必要としてくれる彼のために
尽くそうとがんばり、そして最後の試練を乗り越えた。待っていたのは満足感と……孤独感。
シャオと同じように自分も宿命から解放してくれる人を探そう、そう思いながら短天扇に帰っていった。
そして次に外に出たときに目の前にいたのは太助の子、幸太だった。
父と同じく、自分を必要としてくれ、試練も進んで受けてくれた。そして、自分が望んだ願いを今かなえて
くれた。宿命から解放されるその時を……。
しかし、いざ目の前にその現実が置かれるとためらいが生じてしまう。自分でもわからない不安。この不安が
何なのかわからない限り、前には進めないとキリュウは思っていた。
トントン
ドアがノックされた。返事をすると幸太が入ってきた。
「キリュウ、ちょっといい?」
「ああ」
短くそう答えると、幸太はキリュウの隣に座った。
「まだ、迷ってる?」
「迷っている……のだろうな。自分でもよくわからない。望んだはずのことが目の前にあるというのに…だ」
情けなくそういうキリュウ。
「命がかかっているんだ。そう簡単に踏み出せないさ」
「いや違うんだ。命がかかっているとかあまり気にはならない。命がなくなりそうになることはもう数え
切れないほどあった。いまさら気にもしていない。しかし、何かが足りないような気がしてならないんだ。
自分でもわからない何かが……」
そこで言葉を切るキリュウ。ここから先は自分でも何を言っていいのか分からないのだ。
しばしの沈黙。そして今度は幸太が話し出す。
「これからいうことはあくまで俺の希望だから聞き流してくれてもかまわないから」
「…………」
黙ったままのキリュウ。かまわず幸太は続ける。
「俺はキリュウに精霊の宿命から解放されてほしい。自分の行動が無駄になるからとかそういうのじゃ
ないんだ。ただ、これからもずっと一緒に同じ時間を過していきたい…それだけなんだ」
「主殿…」
幸太の言葉にキリュウの心は揺れた。そして自分に何が足りなかったのか分かったような気がした。
キリュウが立ち上がる。
「キリュウ?」
「私の中で何が足りなかったのか分かったような気がした」
「え?」
わけが分からず幸太は疑問の声を上げる。
「たとえ精霊の宿命から解放されても、その後のそれ相応の生きる意味がなければ意味がない。私の中で
引っかかっていたのはこれだったんだ。そして、その答えが見つかった。……主殿、あなたと同じ時間を
過ごしていくことが私の生きる意味だ」
「キリュウ…、それじゃあ」
その言葉にキリュウは決心した表情でうなずいた。
「ああ。私は宿命から解放されるほうに賭ける」



「私の言いたいことはこれだけだよ。あとはルーアンがどう行動しようと私は何も言わない」
ルーアンの部屋。麗奈はルーアンにさっき幸太がキリュウに言ったことと同じような内容のことを
ルーアンに話していた。麗奈が話すのをルーアンはただ黙って聞いていた。
「ありがとう、麗奈様。でも…」
「うん、時間はあるしゆっくり考えて」
それだけ言って麗奈は部屋を出た。
それを見送ってルーアンは再び考え出す。
精霊の宿命から解放される方法は目の前に、手の届くところにある。しかし、行動に移せないのは、これが正しい
選択なのか分からないからだ。宿命から解放されたところで幸せになれるとは限らない。逆に宿命の元に
いたほうがよかったと思うかもしれない。死ぬことへの恐怖はさほどない。いやになるほどの長い時間を
生きてきたルーアンにとって、それはなくて当然なのかし知れない。
「どうしたものかしらね…」
考えれば考えるほど深みにはまっていく。と、
トントン
再びドアがノックされた。今度は誰?と思いながらルーアンは再び返事をした。
今度は言ってきたのは乎一郎だった。
「ルーアン先生」
「遠藤君…」
二人はしばらくそのまま動かなかった。



凍り付いていた時間がいま動き出そうとしていた…


次回予告
動き出す歯車。
幸せにするという青年とそれを受け入れる女性
一度は離れてしまった二人がいま
終着の場所へと向かう
次回第八話
「永き宿命の果てに」
歩みだす二人に幸が多からんことを…