黄衣の王

黄衣の王2




(綺麗な人………)
 愛原花織は目の前の女性を見てそう思った。
 人にある好み。それは、愛らしさであったり、無垢から来る人の重力であったりするのだが、目の前の女性は違っている。
 無垢でなく、愛らしさは乏しく、どう見ても自分の方が魅力的な要素を多く持っているはずなのに感じる【格差】。
 愛らしさ。それなら、自分はあの月の精霊である女性にも負けない自信がある。美しさというものだって、いつかは太陽の精霊を超えてみせる気概は十分にある。ふとした事で見せる弱さは、別に大地の精霊だけの物ではない。
 しかし、あの女性には勝てない。幸いに、想い人はまだ気付いていないものの、彼が想いを寄せている月の精霊は既に気付いている。
 穏やかな日差しの中、優しく月の精霊の背中をなでている姿は、それを象徴した【絵】になっている。彼女の持つ全てを肯定し、包み込むかの様な【つよさ】。それは、全ての人が求めてきたあの存在の正体なのだろうと愛原花織は漠然と感じていた。
 教室の中、穏やかな眠りに身を委ねる月の精霊。その身体を委ねられている彼女は、慈愛という言葉の相応しい眼差しを精霊に投げかけながら古ぼけた書物の頁を捲っている。
(この女性は………)
 想い人に明るい声を投げかけ、甘い言葉を囁き、何かと世話を焼きたがる先輩とじゃれ合いながら、少女は彼女を見ていた。
 想い人が彼女に声を掛ける。動揺する自分。答える彼女の声は以前の刺々しさがなく、ごく自然に、優しく、静かな澄んだ声。彼女の声に、安心したような声をだす想い人。その光景に堪らない不安感と喪失感を感じる自分。
 同じ感覚を以前、温泉で味わった事があった。それは、想い人の姉と始めて向き合った時の感覚と同じもの。決して届かない【差】を垣間見た感覚。
(先輩は………この女性を………)
 以前と同じ、しかし、より近しく、親しく、当たり前の様に言葉をやり取りする二人を見ながら、少女は漠然とそう感じた。
 二人の間にいる精霊が失われたとき、二人はどうするだろう?
 自分なら、想い人に何が出来るだろう?
 その時、【彼】の隣にいる女性は?
 彼女なら、出来るだろう。月の精霊と異なるやり方で彼を立ち直らせ、大地の精霊以上に彼を奮い立たせ、太陽の精霊を必要としない幸福を共に築けるだろう。
 襲い来る想像を振り切る為、殊更明るい声を想い人に投げかけ、少女は自分の心と想い人の関心を自分へ引き戻した。そんな少女の行動を、彼女は穏やかに(そう、少女の行為をいとおしむ様に)微笑ながら見守り、少女の想い人へ軽い言葉を幾つか投げかけるのだった。

 全ては彼女が叔父とやらの用事でいなくなってからだ………少女はそう考えていた。そして、それはあながち間違いではなかった。
 少女の周りで、彼女が噂になったのは何時の頃だったのか、時間的にはほんの数日だったハズだが、彼女の纏う魅力という言葉以上の重力は人の心を惹きつけ、何処か異常な陶酔感を伴って少女の周囲に広がっていた。
 得に、女子の間でその症状は酷く、月の精霊と共に語られる彼女の話題はゴシップと言うより、むしろ物語だと少女には思えていた。それも、酷く依存性の強い………
 彼女は、静かではっきりとした口調で叔父の遺産という書物の事を語り、遥か古代の事、異国の持つエキゾチックな魅力を幾倍にも増幅して月の精霊に語り、それを傍で耳にした者は皆、その話の虜になり、歴史の授業が彼女の語る話で丸々費やされたという噂すら流れた。
 「元からあの先生はやる気なかったのよ!」そう少女は噂を肯定する形でその魅力を否定してみせた。彼女の噂に屈する気にはどうしてもなれなかったのだ。
 彼女が現れるとき、微かに感じる香り。所謂、進んでいる、と自称している女子たちが身につけている安物・贋物とは格が違う自然な心地良さを感じさせる品格。
 近付こうとする者にその高さを静かに語る、あの青空の様に果てしない差を見せつけ、それでも穏やかに、静かに、優しくその場所に在り続ける彼女。
 以前には、まだ薄かったその魅力が顕現した彼女。その本性とも感じ取れる、全てを惹きつけて飲み込む存在感に少女は恐怖を感じていた。
 少女にとっての救いは、少女が彼女に恐怖を抱いてから数ヶ月後に訪れた。少女と、その親しい友人たちが、放課後の掃除を怠惰にこなしていたその時、微かに聞こえてきたフルートの音色。それは、奇妙な心地良さと安堵感を少女たちに与え、少女たちはその音色を辿って校舎をさ迷い、奇妙に蒸す夏の校舎でその音色が奏でられる場所を突き止めたのだった。
 もし、少女がある特定の知識を僅かでも有していれば、少女にとってこの出来事は救いとはならなかっただろう。
 しかし、幸いな事に少女たちにはその事を知る由も無く、今回の出来事が救いとなった。
 もし、少女たちに洞察力が人並み以上に備わっていたなら、いくら放課後といえ、掃除の時間でる間に音楽など聞こえてくるはずも無く、音楽がする場所など、本来ならば探すまでも無く気付くという事に気付いたのだが、或いはフルートの音色が少女たちをそう仕向けたのかもしれない。
 少女たちは、蒸し暑い校舎の中、自分たちの他にいるべき生徒の影すらない校舎の中で突き止めた、フルートが奏でられている教室の前に立ち、自分の本能が何処かで最大限の警鐘を打ち鳴らせている事をぼんやりと感じながら閉ざされている教室のドアに手を掛けた。
 そこは、見馴れた形の教室であるハズだった。いつものお喋りと、教師の声が支配する少女と少年たちが支配し、支配されている日常の世界のはずだった。
 しかし、間の前に広がる、暗く、死にかけた太陽が支配する、澱んだ暗い陽光に満たされた空間。そこは、少女の知る世界とは違う事を雄弁に語っていた。
 赤黒い陽光を背後から受け、顔の見えないこの世界の主。少女たちの目の前に存在する彼女が奏でるフルートは、確かにあの音色を奏でている。
 少女たちは、後ろに今も現実がある事を祈りながら、恐る恐る視線を彼女から自分たちの背後へと移し、そこに広がるものを見た。
 そこに存在していたのは、見馴れた校舎の廊下は無く、ただ、真暗な空間が無限に広がり、彼女の奏でるフルートの音色とその深淵のみが存在を許された世界。
 フルートの音色は、何時の間にか嘲笑うかの様な曲調に変わり、そのどこか狂気を含んだ音色。今や少女たちの耳にはハッキリとその正体が聞こえていた。深淵の底で吼えたける狂気に満たされたモノの声。それを慰め、嘲笑う彼女の歌。それこそ、少女たちが耳にした音色だったのだ。
 少女にとって、【それら】の存在は、今まであの、月の【それ】の様に自分たちと近しい存在だった。それが、【それら】であり、今後もそうだと何処かで安心していた。少女の読む本にも、大概は自分たちと同じ様に泣き、笑い、怒り、自分たちと同じ行動をとっていた。  しかし、目の前に【在る】のは、紛れも無く真の【在るもの】に他ならず、それと対峙した時の人間が取るべき事は何時でもただ一つだった。
 暗く澱んだ陽光は消え失せ、周囲は原初の深淵へと戻り、少女の周囲からは脆弱な神々を嘲笑う鎖から解き放たれた悪魔たちが、フルートを奏でる彼女を称える声が響き渡り、おぞましい狂気を含んだフルートの音色が嘲笑する狂った風を孕みながら少女とその友人たちを背後の深淵の淵へと吹き飛ばすのだった。
 少女たちは、悲鳴を上げる間すら無く、孵ったばかりの狂った風が深淵の混沌を戯れに練り上げ、フルートの音色が宿す輝きの作り上げるた宇宙に放り込み、少女たちが望む場所、あの見馴れた校舎のある場所へ送りつけ、少女たちの精神から数日の間の記憶を奪い去って行くのだった。
 一方、銀の鍵を持ってしても辿りつけない、カダスの先の果てに在る深淵の中心では、狂える音色のフルートを奏でながら、彼女は少女たちを戯れにこの場に連れきた【在るもの】に対して傲慢に罵るのだった。



【後書き?】

 どうも、旧支配者デス。
 はい。2作目でゴザイマスネ(w)。
 私の「黄衣の王」シリーズ。これは、一応クトゥールもの、デス。
 何を今更………と御思いになる方もいらっしゃると思いますが、一応(w)。
 えと、本作は「愛原花織」を主点ぽく【彼女】こと翔子さんの本性・正体というか一部を書いてみました。序盤は翔子さんみたいな女性が意中の人の傍にいたら、いやだろーな、という気がして作ってみました。実際、気がね無く話しが出来る女性って、恋人の傍にいたりされたら、そーとーイヤでしょうね。
 しかも、それが年上の人だったりしたら、あの位の年頃だと結構ハンデっぽく見えるのでは?と考えて作成したつもりデス(w)。
 さて、ここでいい加減、翔子さんの正体を一つ。
 彼女は、「這い寄る混沌」「狂える顔無き鬼神」等の名を持つ
「Nyarlathotep」というどう読むのかすら不明な(と、されている)神様なのですね。1話目で「黄衣の王」という書物が彼女の残されたのは、彼女が風の精霊「Hastur」と命を司る「Shub-Nyggurath」の間に生まれたNyarlathotepだからなのです。
 山野辺を「山」=「産」、命が生まれる聖域。野辺は古語で「野辺送り」=「葬儀・死者を冥界に送る事」と崩して、アジア古来の死は「鳥」というイメージを加えてHasturとShub-Nyggurathを掛け合わせたのですが、両者の生み出した「娘」としてのNyarlathotepであり、地球産のそれとは大きく性格が異なります。むしろ、脆弱で温厚な地球の神々を守護する深淵の「蕃神」として性格が強いです。シャオさんが懐いているのもそのせいです。
 多分、風と大地の二種類の力を司る言語道断な精霊・神のハズです。