黄衣の王 第4話



黄衣の王 第4話



        世の中に
        たえて桜のなかりせば
        春の心は
        のどけからまし


 遠くから聞こえる神楽の音。
 灯りが周囲を紅玉髄色に染め上げ、静かな夜を穏やかな時間へと変えて行く。
 果てし無い深淵の色をした夜空と、夜の滄溟。いつもの自分なら、ただ祈るしか出来なかった月の無いその場所さえ、今は穏やかな活気に煽られ、柔らかな時間を紡いでいる。

 ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ るるいえ
  うがふなぐる ふたぐん

 遠くから聞こえてくる歌。
 楽しそうなその歌声は、父親の故郷に伝わる歌だと以前街の人から記憶があった。

 いあ いあ くとぅるふ

 自分の家に生まれた男子はそう呼ばれ、7歳になると父親の故郷であるこの港町から【るるいえ】という場所へ行かねばならない。そう言われたのを憶えている。
 赤い着物を纏い、灯りの灯された石灯籠の指し示す道を進み、自分の場所である【るるいえ】を目指す。
 微かに漂う潮の薫りを手がかりに、何となく【るるいえ】は滄溟にあり、海でなく滄溟であるそこへ辿りつくにはこの灯りを頼りにして行けば良いのだと知っていた。
 夜という時間に怖さはあったが、普段から一人の時間が多い為か、孤独からの怖さは少なく、夜への怖さ一つしかないのであれば十分耐えられる。
 男の子なら耐えなきゃいけない……父親と姉から言われた言葉に従い、耐える事には為れてしまったから………
 道はやがて、石畳のそれへと変わり、道端には石灯籠以外に魚を始めとする海の生き物を彫った石がちらほらと置かれているのが目に入った。
 海星、海栗に海月、各種の魚に海豚や鯨といったものが彫られた石は進むにつれて大きくなってゆき、その精緻なそれは7歳になった少年の心を怖さから興味へと変えるのに十分である。
 それに、彼は知っていた。この先にある自分の場所。そこにいる少女を……
 父親に連れられて、この港町に来た3日の間に出会った一人の少女。  今日と同じ夜中に街の神社裏で出会った白狐のお面を被った少女は、自分と同じく、たった一人で風と一緒に舞っていた。
 荒れた海風とも、穏やかな微風とも、お囃子のリズムに合わせて一人で舞うその姿は、紅玉髄の灯りに照らし出され、此の世の物で無い酷く残酷な美しさを醸し出していたのだ。
 石畳の道を歩き切り、魚の顔をした巨人が彫られた門をくぐり、望む場所るるいえの石階段を登り、その入り口に立つと、少年は自分を待っていてくれた少女に近寄ってこう言った。
「………約束………だったろ………」
 少年は微かに震える少女へと腕を伸ばし、その華奢な身体を抱きしめて彼女の耳に新しい約束を囁く。
 それは、白狐のお面の下で少女が流す涙を知っていた少年が自分と彼女に出来る精一杯の慰め。
 少女の顔を知る必要は無かった。二人は互いに刹那な永劫の対立者だと知っているから………
 有り得ない二人だけの王宮るるいえ。そこでの幼稚で安っぽい理論で出来たこの時間を過ぎれば、二人はまた一人でいなければならないのだから………

 てけ・り・り てけ・り・り

 祭に使われる笛の奇妙な音色を耳にしながら、幼い二人はるるいえで抱き合っていた。



「………様?太助様?」
 過去にあった紅玉髄色の時間。唐突に訪れる奇妙な陶酔感に満ちた過去への誘いから自分を救い上げた声。
 その声が誰のものだったかに気付くまで、七梨太助は数秒程時間を要した。
 見ると、シャオリンが心配そうな表情で自分の顔を覗きこんでいる。
 心配そうなシャオリンの表情に、太助の意識は徐々に自分のいる場所、目的の場所に向かう列車の中という現実を思い出す。あの時間はもう有り得ないのだと……
 あの時間が、あの記憶が自分に害を及ぼすとでも?そんな考えが太助の心に浮かび上がり、苦笑を浮かべながらシャオリンに「何でも無い」と、おどけて答えた。
 しかし、太助の思考はシャオリンではなく、幼い過去の日を見ていた。あの、儚く穏やかな時間に………
 寝惚けたか?と、いつもの口調で自分を茶化す翔子に妙な違和感を感じながら、太助は自分が向かっている場所を思い起こし、それが記憶を呼び覚ましたのだと自分に言い聞かせる。
 自分が向かっている場所は、あの記憶にあった街なのだから。
 あの少女との時間。それは、他の誰にも話したことは無い。
 あの時間は、その時は甘く、それだから帰ったときには酷く苦いものだと太助は知っていたから。
 憶えている訳で無し………それが、自分を納得させる言い訳だと太助は理解していたが、その事を悪いとは思っていなかった。たとえ、それが自分を騙す事であっても。
 子供の思い出。そうしておくのが最善でなく、次善なのだから。
 最善は、出会わない事。
(……では、シャオは……?)
 精神の暗い深淵から這い寄る声。それは、太助を嘲笑するかの様な色を含んでいた。



【あとがき】
げふっ!
 あー。お客サン、吐いちゃダメ。

 るるいえ……街の名は印州摩宇州かな。やっぱ(w
 さて、黄衣の王編はこれにて御終いデス。
 キリュウは?ってご意見は銀の鍵編にて。