赤い瞳



赤い瞳(ウジャト)




 暗く人けない道を過り、
 ただ悪霊の天使の群れに付き纏われ、
 そこに「夜」と呼ばれる一つの「まぼろし」の
 黒い玉座にあってたじろがず治めるところ、
 わたしは遂にここに達した、この土地に、ごく近頃、
 おぼろげなテューレの国の涯(はたて)から
 粗びた宿運の風土から、その荘厳に位置するところは、
 「空間」のそと   「時間」のそと

                     E.A.Poe 「夢の国」


 微かに漂う甘い匂い。
 遠くから聞こえる、柔らかで甘く、心地好い響きの歌声。

 フングルイ ムグルウナフ クトゥルフ ルルイエ

 自分を包み込んでくれるその暖かな存在に「彼」は身を委ねていた。
 静寂と呼ぶに相応しい温もりに満ちた世界。それこそ、「彼」が欲していたモノだった。
 光の存在しない精神の安らぎに満ちた窮極の世界。

 ウガフナグル フタグン

 しかし、「彼」はその世界がもうじき終わる事を知っていたし、その事は別に嫌では無かった。
 「彼」を守るこの歌声の主が存在する以上、如何なる世界であろうとも、それは恐怖ではない。所詮は「彼」の戯れに過ぎないのだから。
 以前、ほんの少し前にも微かな時間だけこの場所以外の外へ意識を向けた事があったが、その時は外の世界が余りにもつまらないのでそのまま戻っていたが……

 フングルイ ムグルウナフ クトゥルフ ルルイエ

 やがて、「彼」はその時が来た事を悟り、ゆっくりと意識を形作り始める。
 肉体でも感知できる歌声とその主の感覚をハッキリと意識しながら。

 ウガフナグル フタグン

 歌声は穏やかに、優しく、温かく包み込む様に心地好かった。



 七梨太助が目を覚ますと、目に入って来たのは一番に何処か懐かしさを感じる天井だった。
 月日の経過と、それに伴う手入れが醸し出す品格を持つ木材。
 次いで視線を周囲に廻らせれば、普段の自室とは明らかに違う高価そうな調度品が調和している上品な造りの部屋。
 明治だか大正辺りの時代に作られたであろう、どこか懐かしい、安心できる静かな場所。それがこの場所に太助が抱いたイメージだった。
 何時の頃だったか、自分がこうして寝起きしていた気さえする。
 この静かな場所で、喧騒と離れてあの歌声と共に穏やかに……
「おはよう御座います。旦那様」
 遠い昔に聞いた歌声を思い出そうとした矢先、そう声が掛けられて太助は慌てて声のした方向へと視線を移す。
 ソレは、柔らかさと優しさが同居した美しい女だった。
 着ている服は太助でも知っている、所謂メイド服であり、普段ならば現実離れした服装であるその服が妙に彼女は似合っている。
 白磁の様に白い肌……とはありきたりだが、彼女にはそんな言葉が相応しい白さと、決して硬質ではない温もりを兼ね備えていた。
「朝食のご用意が出来ております」
 言葉は事務的だが、声の質に含まれた柔らかさと温かさが少しも冷たさを感じさせないのが彼女の特徴だな。と、太助はぼんやりと感じていた。
 柔らかさと温かさを秘めた美しい赤の瞳。
 柔らかく微笑んだその顔は、どこか安心感を憶える。
 一礼した彼女からは、微かに甘い匂いがした。



 太助の着替えを慣れた動作で手伝い、音一つ立てずに歩く彼女の後姿を太助はぼんやりと見ていた。
(そういえば……)
 ぼんやりとする頭で太助はこの人物が誰であるのか、を自分は未だ知らない事に気付いたが、口に出す気力というか気がしない。
 まるで、彼女が傍にいるのが至極当然の様に感じる。
「ああ。お連れの方たちでしたら、隣街のホテルに滞在しておりますわ」
 この街に普通の女性を泊められる宿は在りませんから。と、付け加えるメイドは、おそらく太助の感じた疑問をそう感じたのだろう。と、太助は考える事にした。
 自分には同行者がいた気がするが、まぁ、もう関係は無いだろう。この場所と、これが居てくれる。他に何が要る?
 彼女に案内され、真っ白なテーブルクロスが掛けられた、大きなテーブルの置かれた食堂に到着した太助は、彼女の勧めるままに上座に座ってテキパキと朝食を並べる彼女の姿を眺めていた。
 幾つも並べられた皿。その上に美しく盛り付けられた料理より、太助の視線を引きつけたのは、籐材のバスケットに盛られた果物類。
 正確には、その中に置かれた実が弾けそうに熟れた柘榴だった。
 実に詰まった赤い液体。それが、堪らなく太助の食欲をそそる。
 柔らかく、温かい彼女の微笑みに見守られ、太助はテーブルに乗る皿を掻き分けて奥に置かれた柘榴へと手を伸ばす。
 耳障りな音を起てて皿が床に落ちて割れ、幾つかの料理が無残に純白のテーブルクロスを汚して行く。
 知らず知らずのうちに、太助は口元に笑みを浮かべていた。
 目障りなモノを自らの手で打ち壊し、排除する事の快感。
 壊すという行為の齎す開放感。
 砕け散る音と共に込みあがってくる開放感。
 刹那に浮かんでは消えて行く顔。
 今まで抑えていたモノを吐き出す恍惚に太助は笑い声すら挙げていた。
 テーブルの上を這いずり回り、ようやく辿りついた目的。
 それに、一切の手加減成しに拳を振り下ろす太助。
 無残に拉げ、果汁を撒き散らす果物。
 多くのソレが無色や黄色なのと異なり、柘榴の赤いソレは派手に飛び散って純白の場所に赤いまだら模様を描く。
 続けて拳を叩き付け、赤い液体を絞り取る太助。
 そんな太助を慈しむ様に見守る彼女。
 完全なまでに柘榴を叩き潰し、自分の拳といる場所を赤に染め上げた太助は、開放感と衝動に任せるままに嘲笑っていた。
 狂った様に嘲笑う太助を彼女はテーブルから引き降ろして自分の胸に抱きしめ、愛おしさすら感じさせる手つきで嘲笑う太助の頭を撫でる。
「今度は、本物を用意しましょう……」
 低く嘲笑いながら彼女の感触を楽しむ太助に、彼女は柔らかく、優しい声でそう言うのだった。
 彼女は、自らの胸で狂おしく嘲笑う太助の耳に甘く、優しい声で自分の名を囁く。
 ネフェルシェプストという淫蕩な響きを持つ名を……



              □あとがき?□

 最強(最恐・最狂・最凶)メイド登場その2。
 太助君の本性というか暗黒面が開放される話しデス。
 そりゃぁ、太助クンもさぞやイロイロ溜まっている事でしょう。
 と、いう訳で(?)そこに突けこむ魔女(?)。
 まぁ、単純にルルイエの主が目覚め始めただけ……とも(w

 其れは兎も角、今回で名前が判明した【ソレ】。
 次元も世界も越えて何処かにふらふら出現する輩ですが……
 ざっと説明を……

>ネフェルシェプスト

 名前の意味は「美女を凌ぐ才覚者」という意味らしい。
 語感からしてエジプトっぽいですが、実は「東方の花」世界の古代から存在している不死王国クェムリ文明の言葉だそうです。
 シャオリンたちと同じく、人間では在りません。
 その正体は、数百万の姉妹を異世界に持つ「黒の剣」の一振りです。
 声と顔は優しく、温かみがありますが、それは超越者故の余裕です。彼女の本性が優しいのでは在りません。要注意人物(?)間違い無しです。
 以前、某世界に現世世界クラスの戦争状態を引き起こし、完全な秩序に守られたその世界を壊した記録アリ。
 異世界の神々すら恐れる武器で、神も悪魔も真っ二つにしてしまいます。
 が、武器なので「誰かに必要として欲しい」という性質があり、主様にはとことん仕えます。
 その破壊衝動を煽り、破壊の快楽を徐々に教えてくれます。
 太助君の持つ破壊衝動を引き出す為、彼の理想として秘めていた女性のイメージを具現化した姿をしています。
 主様大スキなので、ぶっちゃけ主様以外不要だとすら思っています。
 世界は主様(太助)に自分が快楽を提供する為のモノに過ぎず、不要なものは削除して行きます。
 対抗できそうなのは「ルーンの杖」というアイテムか、ルルイエの主と成った太助クン。或いはその同朋か、アザ・ツゥースくらいでしょう。
 同じくらいヤバそうな翔子さんも、こちらの世界に登場出来なくなる程度にはやられてしまうので、勝てない方が多いです。