東方の花 第3話



東方の花 第3話



「……スイラン?」
 ウッドエルフの青年は、目前の光景に思わず間抜けな声を上げてしまった。
 一応言っておくと、彼はとある部族の族長直系の若者であり、所謂人間社会では大貴族の息子という立場だ。
「……ごきげんよう」
 スイランと呼ばれたウッドエルフの少女は、極上の紅玉もかくやという澄んだ美しさを持つ瞳で青年を一瞥し、やや淡々とした口調でそう言った。多分、それが彼女の部族の長老であっても、彼女の友人であるドラゴンにでもそう言うだろう。
「……ごきげんよう……」
 スイランのそんな性格を知る青年は、取り敢えず彼女の無表情な物言いを置いておくとして、さし当たって当面の問題を口にする。
「……私の記憶が間違っていなければ、樹の上で泣いているのは君が長老たちから預かった子供ではないかな……」
「アスティアと名づけた。今は遊んでいる最中だ」
 子供の遊びだろう?と続くスイランの答え。その淡々とした口調に青年は盛大な溜息を吐いてから
「私には樹の上に乗せられて怯えている様にしか見えないよ……」
と、感想を述べた。
 青年の目の前に聳え立つ巨大な樫の樹。その生い茂る枝の一つに無造作とも云える様子で置かれた赤ん坊。みーみー泣くソレは、誰が見ても樹に登れる、とは思わないだろう。
「ふむ……人間は我々より成長速度が速い、そう聞いていたのだが……?」
 成る程、聞き及ぶ事と事実は違うのだな……そう感心しているスイランを他所に、青年はどうやって樹から下ろそうかと悩んでいた。

「ふむ……【ひとはだ】、とはこの位かな?」
「……スイラン、君の体温は沸騰するほどなのかい?」
「肉は生でいいのか?それとも、焼いてから冷やしたほうが?」
「……そーいう事は、この子に歯が生えてから言ってくれ」
 【木登り事件】以来、スイランの子育てを改善すべく、青年の涙ぐましい努力が行われていた。
 アスティアの食事に始まり、産着の着せ方、人間の子供の成長速度まで一通
り実戦&講義を終え、肩で息する青年をスイランはまじまじと眺め 「……君、いい旦那さんになるなぁ……」
と、しみじみ感心した様に言った。
「……ありがとう……」
 スイランにそう言われ、(彼の人生200数十年の間やった事など無いが)壁があったら蹴りたい気分になったエルフの若旦那だった。
「ところで……この子に合うサイズの弓は作った事が無いのだか?」
 そういえば……といった、当然のように言うスイランの言葉に、近くの樹に拳を打ち付けた若旦那(227歳)だった。



 【ソレ】は、自分の動く時間が来た事を感じていた。
 まだそれは訪れていないが、確かにその鼓動は感じれる。
 自分の産まれ、そしてその時に至るまでの多くの過去と未来を見てきた【ソレ】は、始まり出した【現在】に甘く淫靡な歓喜の声を洩らし、【ソレ】の好む過去の惨劇の記憶が齎す快感に身を震わせた。
 知らずに口ずさむ過去の歌。
 自分のいた過去で、力の片鱗を見せた故に200年の安寧が崩れ去った脆い脆弱な世界。
 そこで人々が信じた奇跡の記憶。
 静寂の大地を朱の焔で覆い尽くし、血の紅に染め上げた愉悦の記憶。
 もうすぐだ……【ソレ】は間近に迫った時間へと想いを馳せる。
 あせる事は無い。道は定まったのだから……



 穏やかな風が流れるロウレンの森の夜。
 美しい満月の下、スイランはその腕に抱いたアスティアの頭を優しく撫でながら軒先で心地良い夜風を楽しんでいた。
 彼女の母親も、幼い頃こうして気持ちの良い夜風に当たるのが好きだった。それ以外は余り憶えていないが……
(あの女性は綺麗だった……そう、この月の様に……)
 そして、儚く脆かった……そうスイランは記憶している。
 かつて、東方の花として称えられたエルフの巫女。
 月光の様に清らかで、そして美しく、万民に優しかった伝説の巫女。
 遥かウルサーンの地において、女王エヴァークィーンに匹敵すると称えられた力を持った稀代の巫女。
 忌まわしき魔竜ガルラークとの戦争で傷ついた民を癒し、絶望に閉ざされたエルフを救った光。
 彼女を称える伝聞は輝かしく歴史書に残されている。
 が、どれもガルラークとの戦争を機にその栄光は記されていない。まるで、彼女がそこで死亡したかの様に。
(……メルキス……魔女の王……背徳の王子……)
 スイランはそっと父の名を呟いてみた。
 有史上、二人目のダークエルフであり、かつては【純潔の象徴】としてウルサーンの民全てに愛された王子。
 ドワーフとの間に起きた復讐戦争の原因であり、今なおダークエルフの王国に君臨する魔女の王。
 そして、200年前に母と共に魔竜に挑んだ名も無き騎士。
 封印された歴史の一幕。ダークエルフとハイエルフの同盟。そして産まれた自分。
 そんなスイランと彼女の母親をウルサーンは躊躇無く棄てた。
 忌まわしい存在として。
 母を流刑にした時、霧に覆われた港に魔竜の哄笑が響き渡ったとスイランは聞いている。
 それは、明らかに、無力な母娘を救えないハイエルフとダークエルフを笑っていた、と。
 流刑の末、この森に辿りついたスイランの母は徐々に肉体的・精神的に衰弱して行き、スイランが40歳(人間での7歳)の冬に目覚める事の無い眠りについた。
 晩年の彼女は、スイランの事さえ判らない程であり、メルキスが彼女に残した黒い剣を抱いたまま虚ろに過ごす日々であった。
(他人の不幸は救えても、自分は破滅したのだな……)
 数えるほどしか自分の名前を呼んでくれなかった母に対するスイランの感想はそれに尽きる。
 侮蔑でも、哀れみでもなく、ただ冷静にそうスイランは感じていた。
 清らかで、正直で、強い魔力を持ち、優しく、万民に愛された母に、スイランは
(それだけではダメなんだよ……)
と、心の中で語り掛ける。
 静かに、煌煌と美しく輝く月を見てそうするのはスイランの自覚しない習慣だった。
「……さぁ、そろそろ入ろう……」
 何時の間にか、安らかな寝息を立てているアスティアの寝顔を見てスイランは微笑み、そう言って家へと歩き出す。

 ロゥレンの森。そこに生息するフォレストドラゴンの一匹、ナナ・イ・リキュリア。
 彼女は、自分の友人であるスイランが家の中に入るのを確認すると、魔法の眼を遥か彼方のウルサーンへと向けた。
 【全てを知る者】として人類国家「帝国」の建設に強力した賢者テクリス。【純潔の象徴】、その銘を継いだ救国の英雄ティリオン。共に、スイランの異母兄であるエルフの若者たち。
 彼らがその存在を知らない妹が歩む運命。それを知るドラゴンは低く唸ると、元凶である魔竜の姿を探したが、それも叶わず、諦めて瞳を閉じた。
 リキュリアには判っていた。スイランが母親の銘【東方の花】を継いだとき、魔竜の企みは幕を開け、彼らの残酷なゲームは佳境を迎えるのだと……



【あとがき】

 ハイ!第三話デス!
 微妙に重要人物(?)、黒の剣登場です(ぉ
 ついでにスイランのパパ、メルキスさんも少し解説されてます。
 ……一応、彼は所謂ギャルゲーの主人公のアーキタイプとして書いてみました(マテ

 余談ですが、以前募集したキャラ名は、ウッドエルフの青年の、デス。
 このままだと最後までウッドエルフの青年かも(w