CrossRoad2



 眠り、すなわち夜毎のあの不気味な冒険について、
 これが危険を知らせないためであるとわかっていないなら、
 人は不可解な大胆さでもって日々床につくといってよいだろう

                            ボードレール


(また、あの夢か……)
 鼻孔を微かに擽る柔らかな独特の香り。
 かつて嗅いだ事のあるその匂いに、烈境は忌わしいと思う反面、どこか懐かしさを感じていた。
 遠くで響く鼓の音色。
 美しく、そして淫蕩に舞う舞妓。
 舞妓に導かれるまま、音色を奏でる無数の楽士たち。
 弛緩し切った空気の中に満たされたあの匂い。
 自分の中に圧し止めていたモノが歓喜の声をあげていた。
(……これは……)
 現実感の稀薄な意識の中で、烈境は思い出していた。
 遥か彼方で舞う【彼女】の柔らかく、温かな腕。
 滑らかで、しなやかで、細い身体。
 甘く、心を緩やかに、心地好く侵蝕してゆく水晶の如き声。
 記憶の深淵へと飲まれて行く最中、烈境は自分が喜悦の咆哮を上げている事を知った。
 【彼女】の声が自分を許す。
 【彼女】の声が自分に命じる。
 【彼女】の声が自分を決める。
 【彼女】の声に自分が許されたい。
 【彼女】の声に自分が命じられたい。
 【彼女】の声に自分を決めてもらいたい。
 咆哮を上げながら、自分の全てを振う。
 鍛身炎天としてだけでなく、【烈境】という自分の存在全てを。
 他者を蹂躙し、破壊し、虐殺し尽くす。
 己という存在の価値を誇示する最も本能的な行為に耽る。
 与えられるは罪を凌ぐ極限の歓喜。
 より強い、もっと強い、遥かに強い、際限無く強い歓喜を求めて。
 意識というレヴェルを越え、身体の求めるままの行為。
 愉悦・喜悦の歓喜に満ちた咆哮を響かせ、烈境はそこで【殺していた】。
 【彼女】の声が導くままに。

(……あぁ、もう音がしない……)
 無限にすら感じていた歓喜に満ちた時間の末、烈境はそこに立っていた。
 幾万の人間からなる屍と流血の世界の上に。
 自分の立つ場所。
 それが敵であったのか、味方であったのか、今の烈境にはさしたる意味を持たなかった。
 血に染まり、重く感じる両腕。
 妙な弾力を持つ屍の上に立つ両足に絡みつく赤黒い血。
 限界を超えて酷使された肉体は悲鳴を上げていた。
(俺……は……)
 現実感に乏しい自分の作った光景を烈境はぼんやりと見ていた。
(……俺の……)
 瞳から自然に溢れてくる涙。
 烈境の頬を伝うソレを、生暖かいものが掬い取る。
 血に染まり、壊れかけた烈境の身体を後ろから抱きかかえる柔らかい腕。
 耳元で囁かれる甘い声。
 【彼女】の声は烈境の身体に侵蝕し、濁った活力をその身体に注ぎ込む。
 興奮と熱狂と歓喜。それが烈境の身体を蝕む。
 凍えた身体が感じる【彼女】の身体の温もり。
 血の匂いに満ちた世界で微かに感じる【彼女】の匂い。
 膝を付き、烈境は自分の流した涙の意味を知った。
 他者への哀れみでもなく、殺戮の終わりへの安堵でもなく、【彼女】から逃れられない自分を悲しんでいるのだと。
「……銀月……」
 烈境は知らずに【彼女】の名を声に出していた。
 狂気を司るというあの夜空の支配者。
 美しく、そして狂った存在。
 柔らかく、優しく、穏やかで、そうやって全てを壊す忌まわしい【かの存在】の眷属。
 後ろから自分を抱く【彼女】。
 【彼女】が今、どんな顔をしているか、それを知るために振り向く勇気は烈境には無かった。
 否、振り向かずとも烈境は知っていた。
 【彼女】は、あの【黒の剣】は、自らの主をこの世界に生み出すまで、全ての犠牲の上で舞い踊りながらあの微笑みを浮かべているのだから。
 【彼女】の声が語る計画。
 この世界に与えられた女神の祝福。それを掻き集め、自分の主を創り出す計画を。
 烈境を含む、全ての精霊・新しい神々を創り、人間を生み出し、今尚、世界を創っている女神の祝福。
 それが産み出すだろう最高傑作を主とする自分の計画を。
「……あ……う……」
 言葉にならない感情が烈境を支配し、【彼女】の腕を掴もうと手を伸ばす。
 烈境の手を【彼女】の腕はするりと避け、温もりと共に烈境の身体から離れる。
 失われゆく何かを掴もうとあがく様に、烈境は残された活力を使って身体を後ろに振り向かせる。
 【彼女】は微笑んでいた。  褐色の肌を持ち、しかし顔立ちはギリシャ彫刻の女神の如き不可思議な美しさを持つ【彼女】が微笑んでいた。
 薄い絹の布を纏い、しなやかな曲線を描く身体を持ち、長い銀色の髪を風に遊ばせ、澄んだ赤い瞳が楽しげに烈境を見ていた。
 烈境は、自分を支配している感情が何であるのかをハッキリと知った。
 精霊である彼が感じる事の無いそれは、【絶望】といった。
 【彼女】の細く、しなやかで美しい褐色の腕が真横になぎ払われると同時に、烈境はそれが何であるのかを理解した。
 それは、烈境が【彼女】と編み出した対神・精霊用の技「星破」。
 烈境の振う力の数倍の威力を持ったそれは彼の物質世界での身体を切り裂き、その意識をも断ち切るのだった。
 意識が失われる直前、烈境の見たものは、自分の血で染め上げられた【彼女】の手と、それを愛しそうに舐める【彼女】の美しい貌であった。

「……烈境?」
 記憶が産み出す夢から自分を引き戻した声。
 それは、烈境が主として仕える少年・七梨太助の友人・山野辺翔子のものだった。
「……あ?……悪い……寝て……」
 言い掛けて、言葉を失う烈境。
 彼女から微かに感じる匂い。それは、あの夢で感じた匂いそのものだったのだから。
「……それ……は……」
 翔子の腕を掴もうとする烈境だったが、翔子の腕は軽やかに烈境の手を避け、烈境の額を人差し指で軽く弾く。
「翔子さ〜ん。もうすぐ来ちゃいますよ〜」
 部屋の外からするシャオの声に「すぐいく」と翔子は答え、烈境に背を向けた。
「……?髪、伸びたな……」
 部屋を出ようとする翔子にふと、烈境はそう言った。
 出会った頃は確か肩より少し下、だったが、今はそろそろ腰まで届きそうな長さになっている。
(……あぁ、確か叔父の遺産だかを受け取りにいった頃からか……)
 確か、2月ほど前に聞いた話を思い出した烈境だったが、翔子は初めて気が付いたとでも云うような表情を取ると
「あー。そうだな……そろそろ切るかなぁ」
と、言ってのけた。
「イヤ、別にそういっては……結構似合うんじゃないか?うん」
 とりあえず、そう言っておく烈境だった。
「……七梨もだけどさ……そー云う事、言う相手が違うんじゃないかね?」
 皮肉めいた微笑を以って翔子は云い返し、これ以上は無しとばかりに部屋から去っていった。
「……そーいう訳ではナイデスヨ……多分ネ……確定できないけどサ」  そう、烈境は言ってみた。
「……お客……か……」
 予想のつく流れに、烈境は何となく酒を欲しがる人間の気持ちが理解できた気がした。

 【彼女】は、七梨家当主に仕える家政婦という話しだった。
 太助の父親、太郎助が長らく不在の為、本家の連中が当主後継者である太助の為に用意した。
 そう、手紙にはあった。
(……あの親父……)
 引きつった笑みを浮かべ、背後からイロイロな視線を受けて七梨太助は【彼女】を迎え入れた。
 褐色の肌を持ち、顔立ちは西洋人のそれという不思議な魅力と美しさを持った【彼女】を。
「お初にお目に掛かります。代々七梨家当主に仕えさせて頂いております銀月と申します」
 美しい銀色の髪を後ろに纏め、澄んだ赤い瞳を持つ【彼女】はそう名乗った。



                【あとがき】

 何やら、いい加減忘れられたっぽい時期デスガ、「蒼運命」の2話目デス。
 微妙に「銀の鍵」シリーズと重なっていますが、そこら辺は「銀の鍵」シリーズを気合入れて読んで見て下さい(ぉ
 今回登場した最強(ニシテ最狂デアルガ故ニ最凶ナル最恐)の問題キャラも登場してはいますが……アレは2千万だかいる【彼女】の姉妹の1人で、別人(?)です。
 L.E.Dミラージュと暁姫並に別です。判らないですね(マテ
 烈境さんと銀月は遥か古代で同じ相手に仕えていた事があって、そのときに烈境さんが銀月の協力を得て「突き詰めてしまった」時のお話しで、以後彼は戦争とかを嫌うようになった……といったトコロでしょうか?
 多分、銀月さんは……どれだけ人間が死のうとも気にも掛けないでしょう。
 全てを消滅し尽くすまで破壊を続ける。それが【彼女】たちなのですから。